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苦悩の解決(四諦)

ー仏教メモー

苦悩の解決(四諦)

 

仏教のなかでも、もっとも重要な教えの一つである四諦について学び、自分なりに理解したことをメモしました。

苦悩解決の教え

 

 阿含経に「これは苦である、これは苦の生起である、これは苦の滅尽である、これは苦の滅尽にいたる道であると、あるがままにはっきりと理解しなさい」という教えがあります。それぞれ、苦諦(くたい)・集諦(しったい)・滅諦(めったい)・道諦(どうたい)と漢訳され、四諦(したい)と呼ばれています。

 仏教では、生・老・病・死を四苦と言い、これに愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとっく)・五陰盛苦(ごおんじょうく)の四つを加えた八苦など、多くの苦悩に言及しています。このほかにも苦悩は数知れません。

 人びとは苦悩の解決を図りますが、苦悩が収まったと思うそばから同じような苦悩が生じます。苦悩から逃れようとして、別の苦悩に飛び込んでしまうこともあります。

 釈迦牟尼世尊は、こうした人間の苦悩を根本的に解決し、再び起きないようにする道を示しました。それが、四諦の教えです。

 家庭、職場、そのほかの場において、自分と他の人との間に摩擦、葛藤、争いなどの苦悩が生じると思いますが、そのような人間関係上の悩みの解決を念頭に、四諦を学んでみたいと思います。

苦諦

 

 「これは苦であると、あるがままにはっきり理解しなさい」と釈迦牟尼世尊は言います。

 どんな苦悩であっても、苦悩に襲われたときに、ただ苦しい苦しいと大騒ぎしても、苦悩は解決しません。

 釈迦牟尼世尊は、苦悩を根本的に解決しようと思ったら、苦悩をあるがままに、はっきり理解するところから始めましょうと説かれたのです。

 私が師と仰ぐ庭野日敬師は「その人生苦から中途半端な逃げかくれかたをしないでその実態を直視し、見極めること、それが『苦諦』です」(庭野日敬著『法華経の新しい解釈』p.72)と、述べています。

 自分と他の人との人間関係の中で苦悩が生じたときには、腹を立てたり、不平不満を並べたり、背中を向けたりするのではなく、そこに何が起きているのかを、直視し、見極めるところから入るのです。

 苦悩の実態を直視するにはかなりな勇気が必要です。自分自身の実態を直視することになるからです。それでも目をそらさずに、苦悩と理性的に向き合うことによって、根本的な解決への道が開けてくるのです。

集諦

 

 「これは苦の生起であると、あるがままにはっきり理解しなさい」と、釈迦牟尼世尊は言います。

 庭野日敬師は「『集諦』というのは、そういう人世苦はどうして起こったものであるかという原因を反省し、探求し、それをはっきりと悟ることです」(庭野日敬著『法華経の新しい解釈』p.72)と、述べています。

 原因・条件・結果・影響の原理で考えますと、自分と他の人との人間関係の中で、自分が苦悩しているときには、苦悩の原因の一端は、必ず自分にあることが分かります。自分だけが原因ではないにしても、自分を原因から外すことはできないのです。

 苦悩の原因は、貪欲・瞋恚・愚痴などの迷いによって、理に合わない考えかたをしたり、理に合わない言動を行なうところにあります。

 自分がどのように理に合わないことを考えたから、この苦悩が生じたのか、自分がどのように理に合わないことを行なったので、この苦悩を受けることになったのか、勇気をもって自分を見つめ、あるがままをはっきり理解できたとき、集諦ができたと言えます。

滅諦

 

 「これは苦の滅尽であると、あるがままにはっきり理解しなさい」と釈迦牟尼世尊は言います。

 庭野日敬師は「『滅諦』というのは、そういう人世苦を消滅した安穏の境地です」と述べ、更に「それは、釈尊が悟られた『諸行無常』『諸法無我』『涅槃寂静』という三大真理を悟ることができてこそ、はじめて達せられる境地なのです」(庭野日敬著『法華経の新しい解釈』p.72)と述べています。

 苦が滅するためには、苦の原因が滅すればいいのです。

 集諦によって明らかになった、自分自身の理に外れた考えかたを、理に合った考え方に直せばいいのです。自分自身の理に外れた言動を、理に合った言動に直せばいいのです。そうすれば、苦は滅します。

 自分の考えはここが理から外れている。この考えをこう直せば理に合うのだ。自分のこの言動はこのように理から外れている。この言動をこう直せば理に合った言動になるのだ。そうすれば苦悩は根本的に解決するのだ。

 このように、自分をどう直せばいいのかを、あるがままにはっきりさとることができれば、滅諦に入ったと言ってよいと思います。

道諦

 

 「これは苦の滅尽にいたる道であると、あるがままに、はっきり理解しなさい」と釈迦牟尼世尊は言います。

 苦諦・集諦・滅諦と学んできて、苦の滅尽に至るためには、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静という三大真理を悟ればいいことが分かりました。

 庭野日敬師は「ところが、この三大真理を悟るということは、凡夫にとっておいそれとできることではありません。それには、日々の修業と努力が必要です」と述べ、その方法については「『八正道』と『六波羅蜜』に精進することです。これが、苦を滅する道の教え『道諦』です」(庭野日敬著『法華経の新しい解釈』p.72)と述べています。

 自分の誤った考えかたを改めるために諸行無常・諸法無我・涅槃寂静を学び、自分の誤った言動を改めるために八正道・六波羅蜜を修業すればいいのです。貪欲の強い人は布施の実践、瞋恚に走りやすい人は忍辱の修業、愚痴の深い人は智慧の習得が、法華三部経で勧められています。

 自分は何を学び、何を修業すればいいのかが、あるがままに、はっきり理解できたら、道諦に入ったと言って良いと思います。

実践

 

 自分の中にある苦悩の原因を根本的に解決する道が、道諦によって明らかになりました。あとは実践するだけです。

 この道を、自分の意思で実践しますと、自分の他の人に対する考えかたが変わり、他の人に対する態度も変わってきます。これによって、人間関係が好転しはじめることを実感するに違いありません。

 ところが、多くの人が、ここで躓きます。

 理に合ったことを考えているつもりが、いつのまにか理から外れたことを考えてしまうのです。

 理に合ったことを行なおうとしているそばから、理から外れた行ないが飛び出してきてしまうのです。

 これまでの長い間、理から外れてきたために、身に染みついたものが出てしまうのです。

 苦悩を根本的に解決するための実践の道は、平たんではありません。とはいえ、ほかに道はありません。

 挫折しては立ち上がり、立ち止まっては再び歩み、粘り強く努力を重ねて、自分の中にある苦悩の原因を、ひとかけらずつでも取り除き、目指す境地に一歩、一歩、近づいていくほかないと思います。