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科学と仏教

ー仏教メモー

科学と仏教

 

仏教と科学の特徴や関係について、学んだこと、考えたことをメモしました。

似たところ

 

 「仏教は科学である」と論じた仏教者がいたそうですが、現代科学と仏教には似たところがあります。

 仏教は人間を詳しく分析しています。その中で、身体は多くの要素の集まりによってできていると言っています。現代科学は、人間の大人の身体は、約60兆個の細胞がさまざまな器官を作って成り立っていると言っています。よく似ていると思います。

 心の分析も行っていて、顕在意識と潜在意識に分けて考えたり、感覚・感情・知性・意志などを考察しています。現代の心理学によく似ています。

 仏教は、自分の行為は自分に蓄積され、後に影響を現わすと言っています。現代科学は、脳における記憶の仕組みや、遺伝子の話で同じようなことを語っています。

 仏教は、ものごとには実体が無いと言っています。現代科学は、原子より小さいものには実体がなく状態があるだけだと言っています。どこか似通っています。

 仏教と現代科学が似通っているところは、まだまだ数え上げることができます。

現実主義

 

 水野弘元氏(仏教学者)は、今日の科学の研究対象はすべて現象だけであるとし「自然科学は自然現象を、人文科学は人文現象を、社会科学は社会現象を研究対象とするのはそれである」と述べ「この限りにおいては、仏教は今日の科学と同じく現象界を対象とする。ここに、仏教の近代的合理性があるといえる」と指摘しています。

 阿含経に「一切」と題する短い経文があって、我々の感覚・知覚とその対象が、我々にとっての現実のすべてすなわち一切であると言っています。釈迦牟尼世尊は、現実主義者であるという人もいます。

 科学は観察できるもの、観測できるもの、実験できるものを相手にします。科学は現実主義です。

 感覚・知覚を通して認識しうる現象をありのままに捉え、そこに法則を見出し、見出した法則を用いてさらに深く現象を見定めていくという行きかたは、現代科学も仏教も同じであると思います。

 仏教も現代科学も、現に起きていると認識できる現象のみを相手にしている点で、共通していると言えます。

縁起の法

 

 釈迦牟尼世尊は、縁起の法を発見し体得して、人びとに解き明かしました。

 縁起の法は、仏典の中でさまざまに表現されています。その中に、縁起の法の原点ともいえる表現があります。

 これあればこれあり、これ生ずればこれ生ず

 これなければこれなし、これ滅すればこれ滅す

 「これあれば(なければ)、これあり(なし)」は、ものごとの空間的な原因・結果の関係を表わしています。

 「これ生ずれば(滅すれば)、これ生ず(滅す)」は、ものごとの時間的な原因・結果の関係を表わしています。

 この空間的関係と時間的関係をひとつにまとめた表現として「原因・条件・結果・影響の原理」があります。「ある原因とある条件が触れ合って、ある結果が生じ、結果はあとあとに影響を残す」という原理です。

 現代科学の立てた理論を見ますと、基本的に、原因・条件・結果・影響の関係を論じていると思います。仏教の理論の骨格と、現代科学の理論の骨格は通じ合って居ると見ることができるのではないでしょうか。

 

 仏教では「法」を説きます。「法」には四つの意味があるとされます。「教法」「因」「徳」「無我性」です。ここでは「正しい教え」「正しいことわり」「正しい実践」「執着しないこと」と言い換えておきます。

 ここで「教法(正しい教え)」を「科学的な理論」、「因(正しいことわり)」を「科学的な法則」、「徳(正しい実践)」を「観察・観測・実験など」と考えますと、仏教と現代科学には、現実に向き合う姿勢に通じ合うところがあると見ることができます。

 現代科学では、先入観や固定観念に縛られていては、研究が前に進みません。「無我性(執着しないこと)」は、現代科学の基本的な態度としても重要であると思います。

 仏教は「教法・因・徳・無我性」を学び、修業して、自分・他人・世間の幸せのために役立つことのできる人間性を育てようとします。現代科学は、客観的なものごとの真相を突き止めようとします。

 両者が目指しているものは、明らかに異なっていると言わざるを得ません。

主題

 

 現代科学は現象界を対象としています。しかし、現象界のすべてを対象にしているわけではありません。客観的に捉えることのできる現象を対象としています。

 現代科学は、ものごとを観察し、観測し、実験して、ものごとの真相を捉えようとし、ものごとにはたらく法則を捉えようとし、隠れて見えなかった事実を捉えようとします。

 観察・観測・実験ができないものごと、客観的に捉えることのできないものごとは、科学の対象としては不向きであるということになります。

 現代科学の主題は、客観的な現象の真相を追及することと言ってよいと思います。

 仏教の主題は、人間一人一人の苦悩の解決であり、真の生き方の実現です。一人一人が自分本来の生命を生き生きと発現し、すくすくと成長することを、主体的に目指します。そのために最高の智慧を求めて修業します。

 現実主義としては同じでも、主題という面では、現代科学と仏教は異なっていることが分かります。

科学は無記

 

 現代科学の成果によって、これまで見えていなかった事実がだんだん明らかになっていきます。そこから新たな科学技術が開発されて、人々の利便性を高めたり、生活環境を向上したりしています。このようにして科学は人類のために多大な貢献をしてきました。

 しかし科学は、大量破壊兵器を作るのに手を貸したり、犯罪を助長したり、新たな公害を生み出したりというように、人類に不幸をもたらすこともありました。

 科学は、人類にとって、プラスのはたらきもすれば、マイナスのはたらきもするのです。

 仏教では、善とも悪とも決められないものを「無記」と言います。無記なるものは取り扱いかたによって、善悪が定まります。取り扱う人間の善悪が、無記なるものの善悪を決めると言ってもよいと思います。

 現代科学はどうやら無記であるようです。現代科学を研究する人々の人間性、現代科学の成果を活用する人々の人間性が、現代科学の具体的な価値を決めているように思われてなりません。