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仏教の本質に関する諸先輩の見解

ー仏教メモー

仏教の本質に関する諸先輩の見解

 

仏教の本質に関する諸先輩のお話からの抜粋です。

諸先輩のお話を学び、なるほどそうだと得心したところをメモしました。

断片的になってしまいましたことを諸先輩にお詫び致します。

仏教は人間学

(出典:水野弘元著『仏教の基礎知識』春秋社/1982.6.25)

 

 仏教は、人間が社会生活をなすにあたって、「人生はいかにあるか」ということを正しく知り、そこから「人間はいかにあるべきか」という社会・人生の理想を見出し、その理想に向かって進んでいくことを説くものである。それは広い意味での人間学であるということができる。

水野弘元(みずの こうげん・1901〜2006・仏教学者)

仏教は自己を成就するもの

(出典:竹村牧男著『唯識の研究ー唯識三十頌を読む』春秋社/1992.4.30)

 

 もちろん、仏教は一つの宗教である。人間の底深い苦悩、避けられない危機を癒し、救うことを目的とする。唯識の教理も、その中の一つの体系であることはいうまでもない。ただ、私は宗教と哲学の境が、それほど画然としたものであるとは思わない。とくに仏教という宗教にあっては、自己が真の自己を実現することを成就するものであって、それ以外のなにものでもないし、哲学もまた、帰するところはやはり同じことを目的としているであろう。

竹村牧男(たけむら まきお・1948〜・仏教学者)

仏教はだれにも理解できる

(出典:庭野日敬著『法華経の新しい解釈』佼成出版社/1996.5.30新装版第26刷)

 

 (妙法蓮華経は)釈尊がお説きになった当時は、そんなにわかりにくいものではなかったのです。釈尊は、神がかりになって一般の人に理解できないような神秘的なことをいいだされたのでもなければ、ひとりよがりの考えを押しつけられたものでもありません。

 釈尊は「この世界とはどんなものか、人間とはどんなものか、だから、人間はこの世にどう生くべきであるか、人間どうしの社会はどうあらねばならないか」ということなどについて、長い間考えて考えぬき、そして「いつでも」「どこでも」「だれにも」当てはまる「普遍の真理」に達せられたのです。

 「いつでも、どこでも、だれにも当てはまること」が、そうむずかしいものであるはずがありません。たとえば、「一を三つに分けたものは三分の一である」ということのように、だれにも理解できることなのです。「これを拝めばかならず病気が治る」というような、理性ではわからない、ただ信ずるほかはない教えとは、まるっきりちがうのです。

庭野日敬(にわの にっきょう・1906〜1999・立正佼成会開祖・世界的な宗教家)

仏教がいう真理

(出典:般若団東日本支部のホームページ/森 章二博士からの特別寄稿「般若ということ」2006.5.12)

 

 仏教は自覚の宗教で、キリスト教などの一神教は救済の宗教といわれる。

 救済の宗教では知恵というものは全知全能の神の専有物で、神こそが真理である。私たちには知恵はなく、私たちは真理を知ることができない。「神の御子」と呼ばれるような特殊な能力を持った者のみが、特殊な状態になってはじめて知りうる。

 しかし仏教では私たちが真理を知って、私たちが「仏」になる。‘buddha’というのは、インドの古代語で「知る」「目覚める」を意味する‘budh’という動詞の過去分詞であるから、「知った人」「目覚めた人」という意味である。

          (中略)

 仏教がいう真理は、以上のようなことばの成り立ちからわかるように、現象の背後にある直接私たちの目で見ることができない神秘的なもの、あるいは世界や宇宙の秩序・法則といったものではなく、むしろ「それ」「これ」と指し示すことができる、目の前にある具体的な「現象」そのものを意味するのである。だから「真理」はおろか、「真如」「真実」というよりは、むしろ「事実」といったほうが分かりやすい。

森 章司(もり しょうじ・1938年〜・仏教学者)

仏教の原点は「現実直視」

(出典:北 貢一著『七歩あるいて読む仏教』リベラルタイム出版社/2008.3.21)

 

 仏教の祖はお釈迦様(釈尊)であり、原点はそのお釈迦さまがお説き残しくださった教えであるはず。仏教の原点、それは一体何なのかといいますと「縁起(えんぎ)なる法」です。この「縁起なる法」は、あくまでも現実直視の結果、得られたものとされています。天にましますところに原点を求めるのではなくて、いま、現に私たちが生きている、生活している現実の場にあるということです。

 お釈迦様が悟りを開いたのは、もともとはガヤーという町の郊外なんですが、仏陀となられたので、ブッダ・ガヤーと呼ばれるようになりました。ここで何を悟ったかというと、前述の「縁起なる法」を悟られたわけです。これは、知ると知らざるとにかかわらず、好むと好まざるとにかかわらず、みんな時間と空間、「縁起なる法」の中で生きている。だったら、その「縁起なる法」をしっかりとわきまえて生活していくことが大事だ、ということで、以下教えが展開していきます。これが仏教の原点であり、その原点を悟ったお釈迦様こそ仏教の元祖であります。お釈迦様の教えこそ仏教の原点なのです。

北 貢一(きた こういち・1931〜・仏教研究家)

仏教は普遍的な思想

(出典:横山紘一氏の講演録「唯識という生き方」/2003.6.17)

 

 皆さんは仏教といえば宗教と思っておられるかもしれませんが、私は仏教は決して宗教ではないと最近強く言おうとしております。宗教でないとはキリスト教的な意味での宗教ではないということです。結論から申しますと、仏教は科学と哲学と宗教の三面を兼ね備えた世界に通用する普遍的な思想です。最近ますますその確信を強めて参りました。

横山紘一(よこやま こういつ・1940〜・仏教学者)

仏教の「信」は「信頼」

(出典:安原和雄氏のブログ「折々のつぶやき」/「仏教は信仰の宗教ではない」/2009.2.22)

 

 しかしそもそも釈迦の仏教は、信仰で成り立つ宗教ではない。仏教でも「信じなさい」とは言うが、それは「釈迦の説いた道が自分を向上させることに役立つ」という事実を「信頼せよ」という意味である。仏教の「信」とは、信仰ではなく、信頼なのだ。この違いは大きい。

安原和雄(やすはら かずお・1935〜・経済学者)

仏教は仏陀の教え

(出典:日本テーラワーダ仏教協会/A・スマナサーラ長老/根本仏教講義「仏教とは何か」)

 

このような、いわゆる「信仰」というようなことでしたら、僕らの文化ではそういう意味のものはもともとないのです。少なくとも仏教ではありません。つまり仏教は「宗教」「信仰」ではなくて、我々がいつも言うのは「教え」なのです。ということは、皆さんにとってたった一人の教えだけが人生の役に立っているわけではありませんよね。誰もが、色々な人の教えを勉強して、それなりのことを実行しているわけですよね。そのひとつなんですね、仏陀の教えも。

A.スマナサーラ長老(1945〜・スリランカ上座仏教〔テーラワーダ仏教〕長老)

仏教には神が不在

(出典:マトー・カノン著『釈迦のメッセージを読む』ネット版)

 

 原始仏教には<神>が不在である。一神教でも多神教でもなく、いわば無~教である。この点はおそらく多くの宗教のなかでも仏教だけの特質ではなかろうか。そのためにヨーロッパの学者の中には仏教は宗教ではないという人がいる程である。

マトー・カノン(名前の由来は馬頭観音・元マスコミのジャーナリスト)