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人生指導者が必要な理由

増谷文雄編訳『阿含経典3』ちくま学芸文庫所収の「大いなる死」より

  

聖者を大切にする

  

 増谷文雄編訳『阿含経典3』(ちくま学芸文庫)所収の仏典「大いなる死」に、「衰亡に到らないための七つの法」の教えがあります。そのうちの七つ目の教えを手掛かりにして、考えてみたいと思います。

  

 釈迦牟尼世尊はアーナンダに次のように問いました。

  

 「では、アーナンダよ、そなたは、ヴァッジの人々が、聖者に対して、法にかなえる保護と防衛と支持とをよく供すると聞いているであろうか。また、聖者が、将来、その領土に入りたいと思い、やがて到着した時には、その領内において、安らかに住むことができると聴いているであろうか」(増谷文雄編訳『阿含経典3』ちくま学芸文庫、p.302)

  

 この質問に対して、アーナンダは、次のようにお答えしました。

  

 「世尊よ、わたしは、ヴァッジの人々が、聖者に対して、法にかなえる保護と防衛と支持とをよく供すると聞いております。また、聖者が、将来、その領土に入りたいと思い、やがて到着した時には、その領内において、安らかに住むことができると聞いております」(同)

  

 これをお聞きになった釈迦牟尼世尊は、それならヴァッジの繁栄が期待され、衰亡に到ることはないであろうとおっしゃいました。

  

 当時のインドの風習から、この経文における「聖者」は、高い境地に達した出家修行者であろうと思います。現代的には「聖者」とは、優れた人生指導者と考えてよいと思います。人生指導者とは、人々に、人間としての正しい生き方を教え、人間と人間の関係の正しいありかたを教え、正しい実践に導く指導者です。

 ヴァッジの人々が、優れた人生指導者を師と仰ぎ、大切にしている限りは、繁栄が期待され、衰亡することはないと、釈迦牟尼世尊はおっしゃったわけです。

自帰依・法帰依

  

 仏典「大いなる死」の中に、釈迦牟尼世尊がアーナンダに、自帰依・法帰依の教えを説くところがあります。

 「アーナンダよ、だからして、自己を洲とし、自己を依拠として、他人を依拠とすることなく、法を洲とし、法を依拠として、他を依拠とすることなく住するがよい」(増谷文雄編訳『阿含経典』ちくま学芸文庫、p.368)

  

 自己を依拠とするとありますが、自己が貪欲・瞋恚・愚痴に満ちていたのでは、自己を依拠とすることはできますまい。認識も、思考も、意思も、行動も、迷いの中にあるのですから、そんな自己を依拠とすれば、ますます迷いが深まっていくばかりでありましょう。

 私も、後期高齢者と呼ばれるようになってから久しいですが、足もとのおぼつかない高齢者が、揺れる電車の中で自分の足だけで立ち続けることは困難です。一揺れすれば、どんなに足を踏ん張っても転んでしまいます。

 それと同じように、迷っている自分が、どんなに頑張ってみたところで、迷いの思考、迷いの判断、迷いの行動から出ることはできないでしょう。

 では、どういう自己であれば、依拠とすることができるのでしょうか。それは、法を依拠としている自己であると結論付けることができます。

 足もとのおぼつかない高齢者でも、手すりとか吊革に まるなりしていれば、一揺れしても、足を踏ん張って転ばずに済みます。

 それと同じように、法に依拠していれば、貪欲・瞋恚・愚痴が動き出した時も、これを押さえて、法の通りに考え、法の通りに判断し、法の通りに実践できます。それはあたかも、貪欲・瞋恚・愚痴を滅したかのような姿となりましょう。

 まず自己が法に依拠し、法に依拠する自己に依拠すればよい。これが、この経文の言おうとしていることではないでしょうか。

 法を依拠とするためには、法を知らなければなりません。法を知って、実践することが、法を依拠とすることであるからです。

 法を知るためには、法を学ばねばなりません。何らかの方法で、法を知る人から法を教えてもらう必要があります。すなわち、師が必要なのです。

 師を得て法を習い、師に導かれて法を実践し、法から外れたときには師の指摘を受けて自己を修正する。こうすることによって、法を依拠とすることができるようになるのです。

  

師を選ぶ

  

 誰を師とするかは、自分の人生を大きく左右する重大な問題です。

 現実に、誤まった道を教える師に就いたがために、人生を誤まる人々が少なくありません。ですから「良き師をさがせ」と言われます。この人を師と仰ごうと決めるのは自分の責任なのです。

 『歎異抄』に、親鸞聖人の次の言葉があります。

 「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然聖人)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべるらん、また 地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり。たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ」

 親鸞聖人は、法然聖人を我が師として選んだのです。法然聖人に欺かれて(すかされまゐらせて)地獄に堕ちたとしても、後悔はないと言い切っています。これくらいの覚悟で、師を見極め、選ぶべきでありましょう。

  

 舎利弗と目連は、サンジャヤ・ペーラティプッタに師事していましたが、ある日、釈迦牟尼世尊を知ると、この方こそ、自分たちが探していた師であると悟って、サンジャヤ・ペーラティプッタのもとを去り、釈迦牟尼世尊の弟子となりました。この二人が、その後、釈尊教団の中核を成したと伝えられています。

 若き日の釈迦牟尼世尊が出家したとき、まず、アーラーラ・カーラーマ仙に就いて学びました。師の導きを受けて、師と同等の境地に達しました。しかし、ここが究極ではないとしてここを去りました。

 ついで、ウッダカ・ラーマプッタ仙に就いて学びました。ここでも師の導きを受けて、師と同等の境地に達しました。しかし、これまた究極ではないとしてここを去りました。

 しかし、釈迦牟尼世尊は、この二人の師に対する感謝の念を、ずっと持ち続けていたようです。成道後に、自分の悟った法を、まず、誰に聞いてもらおうかと考えたとき、最初に思い浮かべたのがこの二人の師であったことが、そのことを伺わせます。

 その後、釈迦牟尼世尊は独力で苦行に入り、やがて苦行を捨てて思索を深め、正覚を得るに到りました。

 アーラーラ・カーラーマ仙のもとで到達した境地の先に、ウッダカ・ラーマプッタ仙の導きがあり、ウッダカ・ラーマプッタ仙のもとで到達した境地の先に正覚があったことを思えば、二人の仙人を師と仰いだことには大きな意味があったと考えることができます。

  

師の恩に報いる

  

 経文「大いなる死」に、次の一節があります。

 「アーナンダよ、比丘あるいは比丘尼、優婆塞あるいは優婆夷にして、よく法と随法とを実践して住し、まさしく実践し、よく法に随いて行ずる者こそ、最高に如来を崇め、重んじ、敬し、供養し、尊ぶ者である」(増谷文雄編訳『阿含経典3』ちくま学芸文庫、p.437〜438)

 釈迦牟尼世尊の説いた法を、その通りに実践することが、釈迦牟尼世尊に対する最高の報恩なのだというのです。

 法の通りに実践すれば、一歩一歩成長して、やがて悟りに達することができます。釈迦牟尼世尊は、それを望んでおられるのです。

 ここで、釈迦牟尼世尊が、「修行の結果を得る」ことではなく、「教えの実践」を報恩としているところに注目したいと思います。

 修行の結果は、教えの実践の一里塚であって、ゴールではないのです。修行の結果に胡坐(あぐら)をかくことは、法の実践を止めることを意味します。法の実践を止めれば退歩するばかりとなりましょう。これでは釈迦牟尼世尊の意に反することになります。どんなに境地が上がっても、法の実践の続けることが、釈迦牟尼世尊の恩に報いる道であると心すべきであると思います。

 中国の禅僧、百丈懐海(ひゃくじょうえかい)は、師を超えてこそ師の恩に報いたと言えるという意味の言葉を残したそうです。

 師から教わったことをすべて知り尽くしているというのは、師のコピーになったというに過ぎないというのです。それでは「師の半徳を減ず」で、師の徳を半分減じてしまうというのです。師を超えないと、師の恩に報いたとは言えないのです。

 師を超えるとは、師よりも上を行くという意味もあると思いますが、師から学んだ上に積み重ねるという意味や、独自の創造性を発揮するというような意味があると思います。

 その意味では、釈迦牟尼世尊は、アーラーラ・カーラーマ仙とウッダカ・ラーマプッタ仙の恩に報いたと言えるのではないでしょうか。

 私も、先輩から「自分の言葉で語れ」と指導されたことがあります。師を超えるための第一歩は、師の教えを自分なりに咀嚼して、自分の言葉で語るところから始まるのかもしれません。

  

人生指導者が必要な理由

  

 煩悩具足の私たちは、師を持たずに修行することは困難です。然るべき人生指導者を師と仰ぎ、教え、導いていただき、時には過ちを叱責していただいて、正しい道を歩むことができるのだと思います。

 師を探し、師を選び、師のもとで修業し、師に報恩する。

 こう考えてきますと、人生指導者が世の中にいてくださることが、どれだけありがたいことか分かるような気がします。

  

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