宗教ではない仏教 ビジネス縁起観 浪 宏友事務所
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ダンマパダ

  

たとえためになることを

  

19

 たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。――牛飼いが他人の牛を数えているように。かれは修行者の部類には入らない。

20

たとえためになることを少ししか語らないにしても、理法にしたがって実践し、情欲と怒りと迷妄とを捨てて、正しく気をつけていて、心が解脱して、執着することの無い人は、修行者の部類に入る。

解説

 『ダンマパダ』の第19句です。

 「ためになること」とは、その教えを学び実践すれば、苦しみが解決するばかりか、本当の幸せを得ることができる道です。これは、釈迦牟尼世尊の教えを指しています。

 ためになることを数多く語るのですから、釈迦牟尼世尊の教えを数多く知っているわけです。ところが、当の本人は、教えを実行しないのです。それでは、自分の苦しみを解決することもできず、幸せになることもできません。

 当時のインドでは、牛は貴重な財産です。他人の牛を数えても自分の財産は増えません。自分の財産を増やすことに努めていないのであれば、怠けていると言われても仕方がないでしょう。

 釈迦牟尼世尊の教えを知っているけれども、実行していない人は、何の修行もしていないと言わざるをえないのです。

  


イラスト:阿部モノさん
(イラストACより)

 『ダンマパダ』の第20句です。

 釈迦牟尼世尊は、ひたすら、人々が理法にしたがって実践することを願われながら、教えを説き続けてこられました。この経文には、そのみ心が溢れていると思います。

 教えを語ることは、苦しみを解決する道、幸せになる道を人さまにお伝えするという意味で大切なことです。

 教えを実践することは、それにも増して大切です。

 理法に合った正しい教えを実践すれば、自分の貪欲・瞋恚・愚痴を捨てて苦しみを解決し幸せに向かうばかりでなく、人々や世間に良い影響を及ぼすことができます。

 教えの実践に取り組む人こそ、釈迦牟尼世尊のお弟子であり、修行者であると言えるのだと思います。


イラスト:阿部モノさん
(イラストACより)

  


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