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四つの聖諦と流転・輪廻

増谷文雄編訳『阿含経典3』ちくま学芸文庫所収の「大いなる死」より

  

「四つの聖諦」については、少し角度を変えて、もう一度学んでみたいと思います。

  

  

釈迦牟尼世尊も修行者たちも流転し輪廻した

  

 ご入滅を前にして旅を続けられる釈迦牟尼世尊は、大勢の修行者たちとともに、パンダ村に入られました。

 そこで、釈迦牟尼世尊は、修行者たちに、次のように仰せられました。

  

 「比丘たちよ、四つの聖諦を、よく了得せず、通暁せざるによって、かくのごとく長きにわたって、わたしも、また、そなたたちも、ともに流転し、輪廻したのである」(増谷文雄編訳『阿含経典3』ちくま学芸文庫、p.343)

  

 ここに、「釈迦牟尼世尊も、修行者たちも、四つの聖諦を理解せず、実践しなかったときは、流転し輪廻した」とあります。

  

  

流転・輪廻

  

 経文に、「流転(るてん)し、輪廻(りんね)した」とあります。

 「流転」も、「輪廻」も、迷いと苦しみの世界を巡り歩くことを意味します。

 流転・輪廻と言いますと、死後の世界を思い浮かべるかもしれませんが、実際には、生きている間も流転・輪廻するのです。昨日も迷い苦しみ、今日も迷い苦しみ、明日も迷い苦しむのは、まさしく、流転・輪廻に違いありません。こうして一生を終える人も少なくないのです。

 それは、四つの聖諦を理解せず、実践しないからだと、釈迦牟尼世尊はおっしゃっておられるのです。

  

  

苦の聖諦・苦の生起の聖諦

  

「比丘たちよ、苦の聖諦を、よく了得せず、通暁せざるによって、かくのごとく長きにわたって、わたしも、また、そなたたちも、ともに流転し、輪廻したのである。 比丘たちよ、また、苦の生起の聖諦を、よく了得せず、通暁せざるによって、かくのごとく長きにわたって、わたしも、また、そなたたちも、ともに流転し、輪廻したのである」(同書、p.333〜344)

  

 苦の聖諦とは、苦を明らかにすることです。自分が何をどのように苦しんでいるのかを、ありのままに自覚するのです。

 苦の生起の聖諦とは、苦の原因、苦の生じる経緯を明らかにすることです。苦しみが生じるときは、さまざまな原因が複合的にはたらいています。自分が苦しんでいるときには、原因の少なくともひとつは自分が作っています。その、自分が作った原因を自覚し明らかにするのです。

 悪因苦果という法則があります。

 苦の聖諦では、苦果を明らかにします。苦の生起の聖諦では、悪因を明らかにします。こうして、「自分がこの悪因を作ったので、自分にこの苦果が生じた」と、明らかにするのです。この悪因を作り続けるなら、この苦果が生じ続けるのだということも明らかになります。

 自分が作った悪因とは、自分が行なった不適切な行為です。行為には、身体的行為・言語的行為・精神的行為の三種がありますが、このいずれかで、するべきことを行なわなかったか、してはならないことを行なったか、とにかく、適切ではないことを行なったのです。そこで、「自分のこの行為が、このように不適切であった。そのためにこのような苦しみの現象が生じてしまった」と明らかに認識し、正面から受け入れるのです。

 釈迦牟尼世尊も修行者たちも、自分が作った悪因によって、この苦果が生じたと気づくことができなかった間は、流転・輪廻を繰り返していたのです。

  

  

苦の滅尽の聖諦

  

「比丘たちよ、また、苦の滅尽の聖諦を、よく了得せず、通暁せざるによって、かくのごとく長きにわたって、わたしも、また、そなたたちも、ともに流転し、輪廻したのである」(同書、p.344)

  

 苦の滅尽の聖諦とは、自分が作った苦の原因(悪因)を滅すれば、苦(苦果)が滅することを理解し、二度と再び、同じ苦の原因は作るまいと決心する段階です。

 自分が行った不適切な行為を続ければ、苦悩も生じ続けます。不適切な行為を止めて、適切な行為に切り替えれば、苦悩は無くなるはずです。

 そこで、自分のこの悪い行為をやめよう、そして、この善い行為に切り替えようと心を決めるのです。これによって、修行の目標がはっきりとします。

 釈迦牟尼世尊も修行者たちも、自分が作った原因(悪因)を滅すれば、苦(苦果)が滅することに気づくことができなかった間は、流転・輪廻を繰り返していたのです。

  

  

苦の滅尽に到る道の聖諦

  

 「比丘たちよ、苦の滅尽にいたる道の聖諦を、よく了得せず、通暁せざるによって、かくのごとく長きにわたって、わたしも、そなたたちも、ともに流転し、輪廻したのである」(同書、p.344)

  

 苦の滅尽に到る道の聖諦とは、自分が作った苦の原因(悪因)を滅するための実践道を明らかにすることです。「自分のこの悪い行為をやめよう、そして、この善い行為に切り替えよう」と心を決め、その通りにするのです。

 ところが、ここに、困ったことがあります。この悪い行為をやめようと思っても、ついつい行なってしまうのです。この善い行為に切り替えようと思っても、なかなか切り替えられないのです。

 ここをどうにかしなければなりません。

 悪い行為から、善い行為への切り替えができないのは、自分に迷いが潜んでいることと、長いこと行なってきた悪い行為の癖が抜けきらないためであると考えられます。

 そこで、釈迦牟尼世尊は、八支の聖道をお示しになりました。

 八支の聖道は、身体的行為・言語的行為・精神的行為を善い行為に切り替えながら、迷いをなくして智慧を育て、悪い行為の癖を直して善い行為の習慣をつくる修行です。

 七転び八起きの精神で、八支の聖道を修習していけば、必ず「悪因」を滅して、「善因」を育てることができるのです。

 釈迦牟尼世尊も修行者たちも、悪因の行為を善因の行為に切り替える努力に入らなかった間は、流転・輪廻するほかなかったのです。

  

  

解脱への道

  

「しかるに、比丘たちよ、いまや、われらは、苦の聖諦を、よく了得し、通暁したのである。

 また、比丘たちよ、いまや、われらは、苦の生起の聖諦を、よく了得し、通暁したのである。

 また、比丘たちよ、いまや、われらは、苦の滅尽の聖諦を、よく了得し、通暁したのである。

 また、比丘たちよ、いまや、われらは、苦の滅尽にいたる道の聖諦を、よく了得し、通暁することを得たのである。

 かくて、われらは、生への執着を断ち、生のきずなを滅したので、もはや、迷いの生を繰り返すことはないであろう」(同書、p.345)

  

 釈迦牟尼世尊も修行者たちも、四つの聖諦を悟って、八支の聖道を実践し、悪い行為から善い行為に切り替えたので、流転・輪廻から抜け出すことができたのです。

 私たちも、四つの聖諦を悟り、八支の聖道を実践すれば、迷いと苦しみの毎日から抜け出し、幸福な毎日を送ることができるようになるのです。

  

  

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