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四つの聖諦に通暁する

増谷文雄編訳『阿含経典3』ちくま学芸文庫所収の「大いなる死」より

  

流転・輪廻

  

 経典「大いなる死」に、次の経文があります。

 「比丘たちよ、四つの聖諦を、よく了得せず、通暁せざるによって、かくのごとく長きにわたって、わたしも、また、そなたたちも、ともに流転し、輪廻したのである」(増谷文雄編訳『阿含経典3』ちくま学芸文庫、p.343)

  • 了得(りょうとく):意味を理解すること
  • 通暁(つうぎょう):奥の奥までよく知ること

 釈迦牟尼世尊も弟子の修行者たちも、かつては四つの聖諦を理解せず、実践もしなかったので、長い間、流転と輪廻を繰り返してきたとあります。

 釈迦牟尼世尊も、かつては迷い多き凡夫だったのだけれど、長い間の修行によって仏陀となったのだ。あなた方も修行次第で仏陀になれるのだ。そうおっしゃっていると受け取ることができます。

  

 「流転し、輪廻した」とあります。

 古代のインドでは、命が終わると、生きている間の行いによって、地獄・餓鬼・畜生・人間・天上のいずれかに生まれ変わると信じられていました。これが輪廻です。煩悩で生きる限り、輪廻は限りなく繰り返されると考えられていました。

 輪廻から抜け出すには、修行によって煩悩を断ち切り、解脱する他はないと考えられていたのです。

  

 現代に生きる私は、実務的な観点から、流転と輪廻を次のように解釈しています。

 流転(るてん):木の葉が風にもてあそばれるように、現象に振り回されること。

 輪廻(りんね):人生において、迷いと苦悩を繰り返すこと。

  

四つの聖諦に対する迷い

  

◇苦の聖諦に対する迷い

 「比丘たちよ、苦の聖諦を、よく了得せず、通暁せざるによって、かくのごとく長きにわたって、わたしも、また、そなたたちも、ともに流転し、輪廻したのである」(同書、p.343)

  

 苦の聖諦とは、自分の心身に起きた苦を、理性的に明らかにすることです。

 これができないときには、迷いと苦悩の解決に着手することができません。そのため、迷いから迷いへ、苦悩から苦悩へと流転し、輪廻するほかありません。

  

◇苦の生起の聖諦に対する迷い

 「比丘たちよ、また、苦の生起の聖諦を、よく了得せず、通暁せざるによって、かくのごとく長きにわたって、わたしも、また、そなたたちも、ともに流転し、輪廻したのである」(同書、p.344)

  

 苦の生起の聖諦とは、苦の根本原因が自分の持つ渇愛であることを、理性的に明らかにすることです。

 これができないときには、苦悩の原因をそのまま持ち続けることになりますから、迷いから迷いへ、苦悩から苦悩へと流転し、輪廻するほかありません。

  

◇苦の滅尽の聖諦に対する迷い

 「比丘たちよ、また、苦の滅尽の聖諦を、よく了得せず、通暁せざるによって、かくのごとく長きにわたって、わたしも、また、そなたたちも、ともに流転し、輪廻したのである」(同書、p.344)

  

 苦の滅尽の聖諦とは、自分の持つ渇愛を余すところなく滅尽してしまえば、自分の苦は滅尽することを、理性的に明らかにすることです。

 これが分からないときは、苦悩の原因たる渇愛を滅尽しようという意欲が生じません。このため、迷いから迷いへ、苦悩から苦悩へと流転し、輪廻するほかありません。

  

◇苦の滅尽にいたる道の聖諦に対する迷い

 「また、比丘たちよ、苦の滅尽にいたる道の聖諦を、よく了得せず、通暁せざるによって、かくのごとき長きにわたって、わたしも、また、そなたたちも、ともに流転し、輪廻したのである」(同書、p.344)

  

 苦の滅尽にいたる道の聖諦とは、自分の持つ渇愛を滅尽し、苦を滅する道は、八正道を実践することであると、理性的に明らかにすることです。

 八正道を実践できないときは、渇愛を滅することができず、苦を滅することができません。このため、迷いから迷いへ、苦悩から苦悩へと流転し、輪廻するほかありません。

  

 こうして、四つの聖諦を了得せず、通暁しない人は、いつまでたっても、迷いから迷いへ、苦悩から苦悩へと流転し、輪廻するほかないと、この経文は説いています。

  

四つの聖諦に通暁する

  

 釈迦牟尼世尊は、修行者たちに言いました。

 「しかるに、比丘たちよ、いまや、われらは、苦の聖諦を、よく了得し、通暁したのである。

 また、比丘たちよ、いまや、われらは、苦の生起の聖諦を、よく了得し、通暁したのである。

 また、比丘たちよ、いまや、われらは、苦の滅尽の聖諦を、よく了得し、通暁したのである。

 比丘たちよ、また、いまや、われらは、苦の滅尽にいたる道の聖諦を、よく了得し、通暁したのである」(同、p.344)

  

 釈迦牟尼世尊と修行者たちは、長い間のたゆまぬ修行が実って、いまは、四つの聖諦を了得し、通暁しています。

  

 釈迦牟尼世尊は、修行者たちに告げました。

 「かくて、われらは、生への妄執を断ち、生へのきずなを滅したので、もはや、迷いの生をくりかえすことはないであろう」(同、p.345)

  

 「生への妄執」とは、自分の渇愛によって営まれる人生に激しく執着することです。

 「生へのきずな」とは、自分を迷いと苦悩の人生に繋ぎ止めるもので、渇愛のことです。

 釈迦牟尼世尊と修行者たちは、四つの聖諦を了得し、通暁したので、四つの聖諦を実践して「生への妄執、生へのきずな」を断ち切りました。

 これから後は、流転・輪廻することはありません。これを「解脱」と言います。

  

 解脱とは、解放される、脱出するという意味です。渇愛の束縛から解放される、脱出することを言っています。これによって、苦悩から解放され、苦悩から脱出することができます。

 妙法蓮華経は、渇愛から解脱し、苦悩から解脱したならば、それで満足することなく、人々と手を携えて、共に幸せになりましょうと説いています。

  

  

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